『海獣の子供』に纏わる第一の証言

『海獣の子供』という世界と物語を生み出した原作者の五十嵐大介と、映画『海獣の子供』の主題歌を書き下ろした米津玄師。2016年に開催された「ルーヴル美術館特別展『ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~』」への参加をきっかけに出会ったふたりの対話は、『海獣の子供』の舞台のひとつ新江ノ島水族館「相模湾大水槽」を臨みながら重ねられた。海の生物たちの気配が渦巻く空間へ、穏やかに浮かんでいく『海獣の子供』に纏わるフラグメンツ。時を経て巡り往く足跡の交錯が、フィルムのきらめきをより鮮やかに反射させる。

取材・文/ワダヒトミ 撮影/太田好治 協力/新江ノ島水族館

『海獣の子供』と ふたりの出会い

18のころ、都会の本屋で

おふたりは久しぶりの再会になるそうですね。

米津そうなんです。最後にお会いしたのはちょうど2年前くらいでしょうか。

五十嵐もうそんなになりますか。でも、そうか、「ルーヴルNo.9」のあとですもんね。

米津「ルーヴルNo.9」の内覧会で初めてお会いして、そのあと一度食事をご一緒させていただいて。昔からファンだったので、とてもうれしかったのを覚えています。

米津さんにとっての五十嵐作品との出会いはどんなものだったのでしょう?

米津たぶん、18とかのころかなあ。徳島の地元から大阪に出てきたときに本屋で出会いました。地元では普通にしていたら突出したカルチャーに出会うことはなかったので、都会の大きな本屋さんにまず感動して。吸収しなきゃしなきゃと入り浸っていた時代でした。中でも五十嵐さんの漫画は、これまでに見たことのない絵で、世界で、こんなものを描いている人がいるんだって驚かされました。あと、普通に買った五十嵐さんの画集の最後のページに直筆のサインが入っていたこともあって。知らずに手にとったのがたまたまサイン本で、都会ってすごいなあって思いました。

そのときの漫画というのは……。

米津まさに、この『海獣の子供』でした。自分も少年時代に一瞬、漫画家を目指していたことがあったのですが、そんな淡い夢みたいなものは一気に吹き飛ばされましたね。どんなに時間をかけたとしても、俺はここには到達できないと衝撃を受けました。

五十嵐さんにとっての米津さんの音楽との出会いは?

五十嵐僕は、普段音楽をほとんど聴かなくて、新しいものにも疎くて。なので、「ルーヴルNo.9」の楽曲と、お会いしたときにいただいたCDを聴かせていただいたところからのはじまりでしたね。なんといいますか、とても「今」を感じました。そのあと、世の中的にもどんどん広くご活躍されていくのを見ては、わーっ、えーっ、へーっていってました(笑)。僕自身は今あまりテレビを見ないのですが、奥さんがドラマの「アンナチュラル」にハマっていまして、何度か一緒に観たりもしましたよ。ドラマ自体とても面白かったんですけれど、最後に米津さんの主題歌「Lemon」が流れてくるときの感じがとても印象的で。ああ、この曲がドラマの受け皿になっているんだと思いました。ドラマが描き出そうとしているテーマの着地点を示してくれているというか。出てくる人物のキャラクター造形は、ある種漫画的に際立っている側面もあるのですが、そこに「Lemon」が被さることによって、これは今の私たちの物語ですよ、という手触りに収束している。すごくいいなあと思いました。

眼差しの豊かさ、やさしさ

生に対する視点であったり、土着のイメージあったり、言葉ではない身体性が表現に顕れていたり、おふたりのもつ世界観は、どこか重なるところがあるように感じるのですが、そのあたり意識されたことはありますか?

米津自分ではわからないですけれど、そう感じてくださるのであれば、それはそれで、そりゃそうだろうなあ、と思います。だって、めちゃくちゃ影響を受けてきたので。

五十嵐通ずるものがあるとしたら、とてもうれしいことです。でも、米津さんの歌って、それぞれの曲にそれぞれの表情がありながら、どの曲もどこか自分に寄り添ってくれている感じがあって。尖ったエッセンスももちろんあるんだけど、根底に人を見つめる眼差しの豊かさ、やさしさがある。で、それは僕の作品にはないものだなあと思うので、どちらかといえば、その違いを興味深く感じていますね。

五十嵐さんは、米津さんの横浜アリーナのツアーライブにも足を運ばれたそうですね。

五十嵐そうなんです。想いを込めてものをつくっている人の表現に触れると、自分自身の創作意欲も刺激されるじゃないですか。そのインパクトもめちゃくちゃありましたし、何よりパフォーマンスが圧倒的で鮮烈で。本当は当日もご挨拶に伺って感想とかいろいろお話したかったのですが、ちょうど子供の学校でインフルエンザ流行していた時期だったので何かあってはと控えさせていただいてしまって。その節はありがとうございました。それに、ファンの方々の米津さんへの愛が会場に満ちていて、僕まで幸せな気持ちになりました。それも含めて本当に良い体験ができました。

米津こちらこそ、観ていただけて、とてもうれしくて。

五十嵐ライブのアートワークというか演出というのも、米津さんが中心になって考えてらっしゃるのですか?ドラム隊が出てきたりする感じとか、空間のデザインとか、とても良かった。

米津次のライブはどうしようかって、ミーティングする中でイメージを膨らませていくのですが、今回の場合は、マスゲームとかマーチングバンドのようなものがステージの上に揃う感じはどうだろうとか、そんなワードをいくつも投げあいましたね。そこから、実現するにはどうしたらいいだろうとか、みんなで精査していく感じです。

五十嵐なるほど。チームとしてみなさんで織り上げていく形なのですね。いや、なんかね、とっても楽しそうだなあって思ったんです。音楽をつくった先にライブがあって、さらに多くの人と一緒にそのステージをつくり上げていって、育てていくって言うのかな。というのも、漫画家……というか、僕の場合ですが、ほとんどの工程をひとりでやっているので、多くの人々が集まってつくり上げる現場というものに憧れのようなものがあるんですよね。

米津うん、楽しいです。ただ、僕もこれまで自分ひとりで完結できる表現ばかりやってきていたので、多くの人に関わっていただくことの大変さももちろん同時に感じていますよ。

『海獣の子供』と 原風景

「海」は、畏怖の対象

米津さんはもともと、『海獣の子供』という作品のどんなところに魅力を感じていたのですか?

米津まず、絵から発せられている力がすごくて。自分がちょっと絵をかじった人間だから余計に感じることなんだと思うのですが、この線の感じとか、一朝一夕で到達できるものではないじゃないですか。生々しい描写すらも美しくて、そこかしこに五十嵐さんの観察眼が顕れているというか、対象のすべてをニュートラルに理解しようという想いが感じられるんですよね。……って、ご本人を前に、何をいってるんだって感じですけれど。また、物語や世界観に関しては、自分自身の視野を広げてもらった感覚がありました。この作品を読む前と読んだあとでは世界が変わるというか、これまで自分はあまりにも狭い世界で生きていたんじゃないかと思わされたというか。何か叱咤されたような感触もありましたね。世界がとても豊かで、この物語の中で起きていることは、きっと地球のどこかに存在しているんだろうと思わされもしました。

五十嵐そんな風に受けとっていただけるなんて、本当にありがたいです。僕は、漫画というのは、読者がそれまでに見てきたものとか経験したものと混ざり合って、読んだ人の中で完成するものだと思っています。だから、米津さんがそのように感じてくださったのは、米津さんの世界が豊かだということにほかならないと思います。

「海」が舞台の物語ですが、おふたりにとっての「海」とは?

米津地元が海に近かったので、身近なものではありました。海岸というよりは漁港だったので、海で泳ぐということはあまりなかったんですけれど。海のイメージとしては、自分の中では「怖い」という意識が常につきまといます。小学生のころに見た海の生き物図鑑の深海のページに、海の底からダイオウイカが獲物にむかって触椀をのばしている絵が描いてあって、とても怖くて。子供心に相当なショックを受けたみたいで、その絵と恐怖を忘れられなくて、いまだに夢に見たりもする。海の中というのは人間の生きていけない環境なわけですけど、そこに放り込まれて、身動きがとれずもがく夢とか。なので、自分にとって「海」は、畏怖の対象ですね。海の生き物……魚や軟体動物って、人とはかけ離れた姿や生態をもっているのに、目だけははっきりと目とわかる形をしていたりする。それを見ると、こちらから全部見ているぞ、といわれているような気持ちになります。

五十嵐僕は逆に海のない埼玉県の出身なので、日常で海が意識にのぼる事なんてなかったです。畏れが感じられるほど近くなかったし、かといって憧れていたわけでもなく。なので、海と接するようになったのは、ある程度大きくなってからでした。『海獣の子供』を描き始めたころに住んでいたのも山でしたしね。ただ、旅行とかで海にいくことがあると、ざっーっと波が海岸に打ち寄せて砕けていく様子とか、ずーっと見てられるじゃないですか。

米津見ちゃいますね。

山の文化と海の文化の違い

五十嵐動きや音の感じの何もかもに引き込まれる。そんなところから惹かれていった感じですね。あとは山の文化と海の文化の違いが気になりだしたこともきっかけだったかな。そのころ僕は岩手県に住んでいたんですけど、山の中に伝わっている素晴らしい神楽があって、そこから各地域へ伝わっていったそうなんです。その先で海にもたどり着いて。そうなったときに根っこが同じ神楽なのに、山にあったときと海に伝わったあとでは雰囲気が変わっていて。海の神楽はすごく開放的な雰囲気があるように見えて、その違いが面白くて。ということは、しばらく海のそばに住んでいると、ものの感じ方とか見え方が違ってくるんじゃないか、とも思えて、そこに興味が湧いていきました。結果、海の近くに住むようにもなって。なので、実際に海とよく触れ合うようになったのは、『海獣の子供』を描き終えたあとだったりするんですよね。シュノーケリングで自分の足が着かない深さでも潜れるようになったのも、つい去年のことですし。

米津意外です。

五十嵐だから、海の楽しさも、息ができなくて怖い感じというのも、今ようやく実感としてわかってきたという感じです。

海の怖さというのも、『海獣の子供』に含まれているエッセンスだと思うのですが、でも、実感されたのは最近なのですね。

五十嵐そうなんです。実は、怖さみたいなものに関していうと、森や山にもまた独特の怖さがあって、『海獣の子供』執筆時には、その怖さを海のものに置き換えながら組み立てていった感じでした。山では熊が木の上にも草むらにもいるかもしれない。全ての方向に気をつけてる感じとか。

米津ああ、その置き換えたというお話を聞いて、すごく腑に落ちたところがあります。実は自分もどちらかというと、山の人間というか、遊びまわっていた思い出があるのは山だったので、だから、五十嵐さんの描かれる海に、どこか畏れだけじゃない懐かしさのようなものも感じていたのかもしれない。じいちゃんばあちゃんちが四国の山の中にあるんです。そこには谷というか渓流もあって、だから、思いっきり川で遊んだりしてましたし。

五十嵐ああ、いいですねえ。

米津少し高いところから飛びこんだりして、めちゃくちゃ楽しくて。

五十嵐うん。米津さんは、やっぱりすごく豊かな感じですね。

『海獣の子供』と 「海の幽霊」

海辺にぽつんと椅子がひとつ

この映画のために書き下ろされた主題歌「海の幽霊」。米津さんは、この楽曲をどのようにたぐり寄せていかれたのでしょうか?

米津相当悩みました。原作の魅力に耐えうるものをつくらなければならないと思いまして。自分のやっている音楽はポップミュージックで、先ほど五十嵐さんがいってくださったように、聴いてくれる人に寄り添うという感覚というか、そういうものをずっと大切にしてきたのですが、でも、今回は果たしてそれでいいのだろうか、と考えました。原作の世界観を表現しようとしたときに、果たしてそのアプローチで成立させられるのか? かといって、たとえば、禅音楽のようなものがいいのかというと違うし、と。

五十嵐作品との距離感をどうとるか、みたいなことですよね。

米津そうなんです。自分の音楽をもってして、作品とどんな距離感で向き合うか。それを探っていく道のりになりました。そんな中で軸になっていったのが、初めて原作を読んだときから自分の中にずっと色濃く残っているシーンのイメージでした。具体的にいうと、単行本第1巻にでてくる幽霊と椅子のことが語られるエピソードで、海辺の椅子の1コマなのですが、壮大な全編から見れば、ほんの小さなシーンなんですよね。

五十嵐確かに小さなシーンです。だって、僕自身もちょっと忘れていたくらいですもん(笑)。米津さんから曲があがってきたのを聴いて、あ!これってと思い出したくらい、本当に小さな一滴を掬いとっていただいた。

米津海辺にぽつんと椅子がひとつ置いてあって……という、このイメージがなぜかずっと自分の中にあったんです。これを元に書くことならできるんじゃないかと思い至り、そこからたぐり寄せていきました。

五十嵐さんは、この楽曲にどんな感想を抱きましたか?

五十嵐まず、米津さんに主題歌をつくっていただけることになったと聞いたときに、ああ、その手があったか、と思ったんですよね。というのも、この原作を映画にすることになったとき、ともすると神話のように見えてしまう場合もあるんじゃないか、と少し心配もしていて。そうなったら、映画を観ている人たちの「今」からは離れていってしまう気がして、それは避けたい、と思っていたんです。実際には渡辺歩監督の演出手腕で、人の息づかいが感じられるものになりましたけど。でも、最後のピースとして米津さんの歌を乗せられるのであれば、こんなにすてきなことはないと思いました。米津さんならきっと、神話のイメージももたせつつも、ちゃんと「今」の物語としての着地点を示してくれて、大切に「今」の人たちに届けてくれるんじゃないかな、と。それで、実際にあがってきた楽曲が想像以上に素晴らしかったので、ただただ、これだな、と思いました。この映画にとって、これしかない、という楽曲だと思っています。

米津なによりの言葉です。

五十嵐繰り返し聴いているとイメージが変化してくる感じもあって、しみじみといいなあと感じてしまいます。オーケストラの演奏で構築されていますが、音の厚みがものすごいですよね。オーケストラってよく使われるんですか?

米津いや、オーケストラでやったのは、実は今回が初めてなんです。同い年のクラシック音楽家の方との出会いがありました。

五十嵐じゃあ、その出会いのきっかけにもなれたんですね。それは僕としてもすごくうれしい。

音楽と絵、つかず離れずの距離

「海の幽霊」のジャケットイラストは、五十嵐さんによるものになるんですよね。

米津それが本当に光栄で。

五十嵐(幾枚かの色つきラフ画を並べながら)こんな感じでいくつかラフを描きながら、仕上げていきました。

米津うわ、すごい。「すごい」しか言葉がでません。胸が熱くなります。月並みですけれど、18のころの自分に教えてあげたいですよ。

五十嵐でも、米津さんって普段はご自身でジャケットのアートワークを手がけられてますよね。

米津そうですね。他の方に描いていただくのは今回が初めてになります。

五十嵐ですよね。なので、僕で良いんだろうか、米津さんが描かれたほうがいいんじゃないかって思いながら描いてました。

米津いやいやいやいや、そんなバカな。

五十嵐そういう意味では、僕も楽曲との距離感みたいなものをとても考えました。音楽に絵をつけたのも初めてでしたので、つかず離れずの位置を見計らったというか。イメージを限定せず膨らむようにしたいけれど、離れすぎちゃってもまずいし、どうしましょう? と迷いました。ずっと「海の幽霊」の楽曲を流しながら、いろいろと描いて、最終的に「足跡」と「幽霊」のイメージに固まっていきました。ただ、この絵は、どちらかというと夜の雰囲気があると思うのですが、曲を聴いていると誰もいない昼間の海辺の情景も浮かんできたりもするので、ぜんぜん収まりきらないなあとは思いつつ。なので、昼バージョンは米津さんが描いてくださったらいいんじゃないかな、なんて(笑)。でも本当に、それも見てみたいです。

『海獣の子供』 という映画へ

世界が一気に立ち上がった

ついに完成に至った映画『海獣の子供』ですが、ご覧になっていかがでしたか?

米津曲を書くために最初にいただいた映像が、ほとんど絵はできているけれど音は入ってなくて、監督の声でセリフが入っているというバージョンで。

五十嵐あ、あれも楽しいバージョンですよね。

米津そうそう。その段階でもすごい絵だって思ったのですが、先日、すべての音が入って完成した初号を観させていただいて。音という要素が入ったことで、世界が一気に立ち上がった感じがして鳥肌が立ちました。最初に、この作品をアニメーションで映画化するって聞いたときには、果たして可能なのだろうかって少なからず思ったんですけど、すごく美しい映像になっていて。空くんがどんどん光りだしていくシーンとか、音も絵も鮮やかで、ああ、これはアニメーションでしか為し得ない表現だと思いました。

五十嵐いや、もう、本当にすごい映像ですよね。のみこまれるような感覚になります。とくに音や音楽での演出というのは、漫画にはない要素なので、とってもわくわくします。

STUDIO4℃謹製の熱いフィルムになっていますね。

米津STUDIO4℃さんは昔から大好きなスタジオで、『鉄コン筋クリート』とか『Genius Party』とか観て、所属されていた田中達之さんとか、森本晃司さんとか、10代のころからずっと好きで。だから、五十嵐さんの漫画をSTUDIO4℃が手がけるって、俺にとっては夢のタッグマッチなんですよ。

五十嵐あはは。でも、僕も今あがった作品とか、湯浅政明さんの『マインドゲーム』とか大好きなので、STUDIO4℃につくっていただけて、すごく光栄でした。あと、今回、総作画監督に小西賢一さん(スタジオジブリ出身/『かぐや姫の物語』作画監督など)に入っていただけていて、あの小西さんがすごい熱量を込めてくださっているのがわかって。制作途中も何度か観せてもらったんですが、観るたびに絵のクオリティが凄まじいものになっていて。波打ち際の描写ひとつにも、アニメーションでやることの大変さと素晴らしさがいっぱい詰まっている。並々ならぬこだわりをもって取り組んでくださっているのがわかって、同じ絵描きとして本当に頭が下がります。

早く、大きなスクリーンで

映画の締めくくり、エンドロールにご自身の楽曲が流れるということに関しての想いは?

米津初号を観ているときにも、ラストに近づくにしたがって、ここに自分の曲が流れてくるのか、となんだかすごく緊張しました。正直、小っ恥ずかしいです。すげえ、良い曲になったなって自分でも思うし、それに対しての自負もあるんですけど、実際に流れるのを聴くとハッとしてしまう。米津玄師名義としては初の映画主題歌になるとはいえ、DAOKOちゃんとの「打上花火」(『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』主題歌)だったりの経験もあったので初めてではないんですけど、なんかね、変な汗出ますよ、やっぱり。

五十嵐へええ、そういうものなのですね。でも、すごくすてきな曲なので、大きな映画館でより良い音響で聴きたいですね。

米津大きな劇場で聴く音楽って、全身で浴びる感じになるので、早くそれを味わいたいですね。

映画『海獣の子供』という機会に巡りあったことによって得た刺激、これからのご自身の創作につながっていく予感のようなものはありますか?

五十嵐今回、自分の作品がアニメーションの映画になるということで、映画と漫画の違いみたいなものを考える良い機会になりました。これまで映画ならではの自由さや音楽ならではの自由さにいつも憧れていて、自分の漫画にはそういう自由さが不足してるんじゃないかって思ってきたんですね。でも、今回いろいろと考えていく中で、そういう漫画の不自由さこそが逆に漫画ならではの自由さを生み出せるのかもしれない、と気づくことができて。映画は、つくり手が時間をコントロールできる表現ですが、漫画は時間の流れを読み手にゆだねることができる。漫画は読む人が立ち止まれる。その豊かさというのを意識できたのが面白かったですし、そういう部分を大切にしていこうとあらためて心に留めることができました。